月別アーカイブ: 2013年12月

爺さんが山へ柴刈りに行きました。

柴刈りは芝刈りとは違い、煮炊きに使う薪(たきぎ)拾いです。

帰ってくると小川に丸太の橋がかかっていました。

・・・・おかしいな、行きには無かったのに・・・・

丸太に足を乗せると丸太は勢い良く動き出しました。

そして対岸の茂みに消えていきました。

爺さんはびっくり。

丸太と思ったのは蛇だったのです。

 

 

田舎に残るそんな話も消えかかっています。

(355)

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「お前、おおひとの足跡を見に行ったかね?」

「いや、何だい?そのおおひとの足跡って」

母は突然おもしろい話をしてきた。

 

 

昔、この町内を巨人が歩いていったんだ。

その時の足跡が弘見地区と白浜地区に残っているんだよ。

 

 

それはおもしろい話だ。

「どこにあるの?」

「ここから十分ほど山に行ったところさ。行ってみるかい?」

 

 

杉の木がうっそうと茂った細い小道を登っていくと直径10メートルほどの木も草も生えていない土地があった。うっすらと窪地になって水の貯まった跡が残っていた。雨が降ると池状になるのであろう。

「何年たってもここには木も草も生えないんだよ。」

「なんでだろうね。」

「さあ、なんでたろう。」

「白浜のほうも行ったことあるの?」

「いやー、遠いからね、人から聞いただけだよ。」

 

 

叔父にたずねると

「あそこは火山の火口だと思う」

・・・・・たしかに町内には大堂海岸という花崗岩地形は存在するが火口跡にしては規模が小さすぎるのではないだろうか。木も草も生えないということは何らかの有毒物質が存在するのだろうか。

 

(333)

テケテンテケテンテケテン

太鼓を叩く音が通り過ぎていった。

テケテンテケテンテケテン

なんだろう?と通りを見下ろすと

神輿を乗せた軽トラックが戻ってきた。

テケテンテケテンテケテン

あれは何なんだろう。

 

 

母にたずねると神社の神輿だという。

昔は大きくてとても立派なみこしがあった。

しかし、どういうわけかその神輿は売り飛ばされ

小さなみすぼらしい神輿になった。

担ぐ者もなく祭りのときになると軽トラックに乗せられて

テケテンテケテンテケテン

テケテンテケテンテケテン

と、町内を行ったり来たりしている。

(332)

村田さんは埼玉県から引っ越してきた。

夫婦でバイク旅行して大月町に立ち寄り、とても気にいっての移住であった。

土地を売ってくれる人を見つけ新築し二人の子供を育てていた。

あるとき、縁側にかけていると

パッーン、パッーンと銃声が聞こえた。

次の瞬間、バラバラバラと散弾が降ってきた。

子供たちは部屋の中にいたからよかったが何と危険なことだ。

 

 

村田さんの奥さんは銃声の聞こえた方へ走って行き

銃を持っている人に抗議した。

すると銃を持っていた人は

「うるせえ!黙れよそ者が」と言われた。

 

 

村田さんはこれ以上何を言っても通じないと思い、

駐在所に出向き事情を説明した。

すると、駐在さんは

「あそこは禁猟区じゃないから取り締まれないんですよ」

 

 

事故や犯罪が起きないと警察は動いてくれないのだ。

(332)

回虫を見たことのある人は少ないだろう。

私も見たことは無い。回虫とは太さ5mm全長15〜35cmの白いヒト寄生虫だ。

化学肥料が普及する以前、下肥(しもごえ)と呼ばれる人糞肥料の時代が回虫全盛だった。

 

 

母は子供の頃、同級生のみっちゃんから

「うどんを食べると回虫になるんやで、知っちゅー?」

と言われてから二十年間、うどんを食べられなかった。

 

 

近年、寄生虫は花粉症などのアレルギー性疾患の防止に役立っていた

という報告がある。

 

 

母はその後、花粉症になった。

 

(293)

笹山商店は雑貨屋でした。長男は兵隊に行き戦争が終わっても帰ってきませんでした。

俊二と母親の留は日々の忙しさの中で、長男のことは忘れていきました。

昭和二十三年の夏、突然長男は帰ってきました。

「笹山勝男、ただいま帰りました。」

俊二と留は雑貨店の前に立ち敬礼をする勝男を見て固まりました。

 

 

店をやりくりしていた俊二にとって勝男の存在は厄介なものでした。

兄に店を取られてしまうのではないか。

そんな思いが日に日に増していきます。

 

 

「あにやん、違う違うそれはこっちだ。もういい、あれを配達にいってこい。」

俊二は兄に細かく辛くあたるのでした。

「あんたは早く仕事を見つけなさい。ここはあんたのいるところじゃないよ。」

留は苦労して帰ってきた実の長男に対する愛はなかったのです。

 

 

冬になる前に勝男は大月町から姿を消しました。

 

(359)

今の人たちにとって白米は常識である。

しかし、田舎で育った母には白米のご飯は戦後のものだった。

今でもそうだが、昔から田舎の仕事は少なく、収入も少なかった。

白米は贅沢な食料品だったのだ。

 

 

米を商品として出すので、生産者でさえ白いご飯は正月くらいしか食べられなかった。

大月町ではどの家も『芋飯』が主食だった。

サツマイモは荒地でも良く育ち、白米と混ぜて炊いて食べた。

 

 

芋飯で育った老人の一人は

芋を見るのも嫌だという。

(339)

クリスマスに拾ったから『クリス』にしようか?

えっー!? クリス!? 熊の子みたいじゃん。

熊吉にしましょう!!!

kuma2

 

子犬の名は『クマキチ』になった。

(336)

高知県の西の端に位置する大月町は、冬型の気圧配置になると

日本海から関門海峡、豊後水道と雪雲が流れてくる。

背後に四国山地のある高知市内とは違った気象条件だ。

大月町柏島から北の港はまるで季節風の叩きつける日本海。

海は荒れて船が出せないときは倉庫の中で網の補修作業だ。

先輩漁師たちに網の縫い方を教わる。

強い北西風で雲が厚くなったり薄くなったり、時々冷たい雨が突然降ったりやんだり。

「かわいい子犬がいるよ」

同僚が震えながら倉庫に入ってきた。

「ならちゃん、飼わない?」

どれどれと見に行くと道路脇の木の下の窪みに

三匹の子犬がいた。

茶色の体に黒の縞々模様。

まだよちよち歩きで警戒心はない。

「ほら、かわいいでしょ」

三匹のうち2匹はメスだ。

よくこの辺りでうろうろしている野良犬の子ということは

特徴的な柄ですぐにわかった。

 

12月25日、妻へのクリスマスプレゼントは縞々のオスの子犬。

(343)

地元の人の紹介で養殖漁業会社に勤務が決まった。

本社は高松にあり、いつもはこちらにいない社長が仕事の都合でちょうど来ていた。

運よく顔を合わせ即決、すぐに餌やり船に乗船。

とんとん拍子で進んでいく。

 

沖の生簀で船から飼料を撒くと

カンパチの大群が餌の奪い合いで水面は嵐となる。

飼料は船倉に積み込んだ生イワシと

工場で作られた粉末飼料、ペレット飼料、魚油を釜の中で撹拌し

ソーセージ状に成型、カット、空気圧で生簀の中に飛ばす。

カンパチが腹いっぱいになって食わなくなるまで与える。

 

秋になると高松で孵化させた体長5mmほどの鯛の稚魚が運ばれてくる。

これは水槽トラックで酸素を注入しながら運んでくる。

5cmから10cmほどに育て春から出荷する。

鯛の稚魚生産だ。

 

船の操縦免許はとったものの実際中々難しいものである。

(311)

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