白いご飯

今の人たちにとって白米は常識である。

しかし、田舎で育った母には白米のご飯は戦後のものだった。

今でもそうだが、昔から田舎の仕事は少なく、収入も少なかった。

白米は贅沢な食料品だったのだ。

 

 

米を商品として出すので、生産者でさえ白いご飯は正月くらいしか食べられなかった。

大月町ではどの家も『芋飯』が主食だった。

サツマイモは荒地でも良く育ち、白米と混ぜて炊いて食べた。

 

 

芋飯で育った老人の一人は

芋を見るのも嫌だという。

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