魚養殖の会社に勤めるにあたって休日について社長と話をしなかった。

週休二日制という言葉が聞かれるようになって久しい現代社会。

民間企業だから週一回の休みなのかな。

生き物を飼育するのだから順番で休んでいくのかなと

勝手に思っていた自分の考えの甘さに涙がこぼれた。

 

 

休みは無いのだ。

九月の末に就職して年内休み無し。

初めての休みは元旦だった。

そして次の休みは盆休み。

 

 

江戸時代かな。

(344)

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母は昭和三年生まれの老婆です。

母の子供の頃の同級生に猿にそっくりな子がいました。

彼女の兄も猿にそっくりでした。

両親はそれほど猿に似ていないのに

兄妹は驚くほど猿顔だったのです。

 

 

兄妹の父が山に猟に行ったとき

腹の大きな雌猿を見つけました。

彼はその猿に銃を向けると

撃たないでくれと猿は手を合わせました。

しかし彼はかまわず引き金を引き

猿を仕留めました。

 

 

兄妹は成長するにつれて猿顔になっていきました。

・・・・あのとき、あの猿を撃たなければよかった・・・・

兄妹の父は猟をやめ、毎日反省したということです。

(275)

爺さんが山へ柴刈りに行きました。

柴刈りは芝刈りとは違い、煮炊きに使う薪(たきぎ)拾いです。

帰ってくると小川に丸太の橋がかかっていました。

・・・・おかしいな、行きには無かったのに・・・・

丸太に足を乗せると丸太は勢い良く動き出しました。

そして対岸の茂みに消えていきました。

爺さんはびっくり。

丸太と思ったのは蛇だったのです。

 

 

田舎に残るそんな話も消えかかっています。

(355)

「お前、おおひとの足跡を見に行ったかね?」

「いや、何だい?そのおおひとの足跡って」

母は突然おもしろい話をしてきた。

 

 

昔、この町内を巨人が歩いていったんだ。

その時の足跡が弘見地区と白浜地区に残っているんだよ。

 

 

それはおもしろい話だ。

「どこにあるの?」

「ここから十分ほど山に行ったところさ。行ってみるかい?」

 

 

杉の木がうっそうと茂った細い小道を登っていくと直径10メートルほどの木も草も生えていない土地があった。うっすらと窪地になって水の貯まった跡が残っていた。雨が降ると池状になるのであろう。

「何年たってもここには木も草も生えないんだよ。」

「なんでだろうね。」

「さあ、なんでたろう。」

「白浜のほうも行ったことあるの?」

「いやー、遠いからね、人から聞いただけだよ。」

 

 

叔父にたずねると

「あそこは火山の火口だと思う」

・・・・・たしかに町内には大堂海岸という花崗岩地形は存在するが火口跡にしては規模が小さすぎるのではないだろうか。木も草も生えないということは何らかの有毒物質が存在するのだろうか。

 

(333)

テケテンテケテンテケテン

太鼓を叩く音が通り過ぎていった。

テケテンテケテンテケテン

なんだろう?と通りを見下ろすと

神輿を乗せた軽トラックが戻ってきた。

テケテンテケテンテケテン

あれは何なんだろう。

 

 

母にたずねると神社の神輿だという。

昔は大きくてとても立派なみこしがあった。

しかし、どういうわけかその神輿は売り飛ばされ

小さなみすぼらしい神輿になった。

担ぐ者もなく祭りのときになると軽トラックに乗せられて

テケテンテケテンテケテン

テケテンテケテンテケテン

と、町内を行ったり来たりしている。

(332)

村田さんは埼玉県から引っ越してきた。

夫婦でバイク旅行して大月町に立ち寄り、とても気にいっての移住であった。

土地を売ってくれる人を見つけ新築し二人の子供を育てていた。

あるとき、縁側にかけていると

パッーン、パッーンと銃声が聞こえた。

次の瞬間、バラバラバラと散弾が降ってきた。

子供たちは部屋の中にいたからよかったが何と危険なことだ。

 

 

村田さんの奥さんは銃声の聞こえた方へ走って行き

銃を持っている人に抗議した。

すると銃を持っていた人は

「うるせえ!黙れよそ者が」と言われた。

 

 

村田さんはこれ以上何を言っても通じないと思い、

駐在所に出向き事情を説明した。

すると、駐在さんは

「あそこは禁猟区じゃないから取り締まれないんですよ」

 

 

事故や犯罪が起きないと警察は動いてくれないのだ。

(332)

回虫を見たことのある人は少ないだろう。

私も見たことは無い。回虫とは太さ5mm全長15〜35cmの白いヒト寄生虫だ。

化学肥料が普及する以前、下肥(しもごえ)と呼ばれる人糞肥料の時代が回虫全盛だった。

 

 

母は子供の頃、同級生のみっちゃんから

「うどんを食べると回虫になるんやで、知っちゅー?」

と言われてから二十年間、うどんを食べられなかった。

 

 

近年、寄生虫は花粉症などのアレルギー性疾患の防止に役立っていた

という報告がある。

 

 

母はその後、花粉症になった。

 

(293)

笹山商店は雑貨屋でした。長男は兵隊に行き戦争が終わっても帰ってきませんでした。

俊二と母親の留は日々の忙しさの中で、長男のことは忘れていきました。

昭和二十三年の夏、突然長男は帰ってきました。

「笹山勝男、ただいま帰りました。」

俊二と留は雑貨店の前に立ち敬礼をする勝男を見て固まりました。

 

 

店をやりくりしていた俊二にとって勝男の存在は厄介なものでした。

兄に店を取られてしまうのではないか。

そんな思いが日に日に増していきます。

 

 

「あにやん、違う違うそれはこっちだ。もういい、あれを配達にいってこい。」

俊二は兄に細かく辛くあたるのでした。

「あんたは早く仕事を見つけなさい。ここはあんたのいるところじゃないよ。」

留は苦労して帰ってきた実の長男に対する愛はなかったのです。

 

 

冬になる前に勝男は大月町から姿を消しました。

 

(359)

今の人たちにとって白米は常識である。

しかし、田舎で育った母には白米のご飯は戦後のものだった。

今でもそうだが、昔から田舎の仕事は少なく、収入も少なかった。

白米は贅沢な食料品だったのだ。

 

 

米を商品として出すので、生産者でさえ白いご飯は正月くらいしか食べられなかった。

大月町ではどの家も『芋飯』が主食だった。

サツマイモは荒地でも良く育ち、白米と混ぜて炊いて食べた。

 

 

芋飯で育った老人の一人は

芋を見るのも嫌だという。

(339)

クリスマスに拾ったから『クリス』にしようか?

えっー!? クリス!? 熊の子みたいじゃん。

熊吉にしましょう!!!

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子犬の名は『クマキチ』になった。

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