大月町」カテゴリーアーカイブ

落し物をしたとき、お世話になる神様です。

これが不思議と出てくる。

以前、財布をなくしたとき

母は私に代わって庚申様に

早く出てくるようにと祈りました。

ほどなく財布は出てきました。

そしてお礼に豆腐をお供えします。

(760)

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鰹のたたきはとても有名な土佐の一品ですが、

ウツボのたたきはあまり知られていません。

「えっー!?ウツボを食べるの?」

と、驚きのあなた!

土佐にお越しのさいは是非食べてください。

あまりの美味しさに追加注文間違いありません。

(419)

犬の散歩から帰宅してあの騒動が何なのかわかった。

テレビのニュースを見ていると

「本日、高知県大月町で大量の大麻栽培をしているグループが摘発されました。高知県警では捜査員を派遣し畑に栽培されていた大量の麻を焼却処分しました。」

そういうことだったのか。それであんな騒動になっていたのだ。

だから私があそこに近づいた時、あんなに警戒していたのだ。

(525)

西日本の夏は日が長い。

仕事を終えて海から戻るとなんとなく町が騒々しい。

なんだろう。

車が多い。

パトカーが走っている。

「ただいまー!」

帰宅するとクマキチはうれしそうに迎えてくれる。

妻に話を聞くと今日は午前中からパトカーがたくさん走っているそうだ。

何か事件があったらしい。

 

 

妻とクマキチの散歩に出る。

植木を扱っている南国樹園と呼ばれている土地の周りに高知県警のパトカーや報道関係の車両が数え切れないほど集まっていた。野次馬もいる。

 

 

以前クマキチの散歩をして南国樹園の前を通ると植樹の奥から人が出てきた。

私は「こんにちは」と声をかけた。

するとその男はいきなり「何してる?誰だお前は?」とにらみつけてきた。

「何って犬の散歩ですよ」

「誰だ?」

「誰って、この向こうに住んでいる奈良岡と言いますが」

「うちの土地に入るな!」

植樹の中を散歩しているわけでもなく前を通りがかっただけなのに

なんでそんなことを言うのだろう?この田舎で珍しい人もいるものだ。

あれから二ヶ月ほどして、この事件は何なのだろう。

 

(362)

かず子婆は80過ぎでとても痩せていた。

息子たちは町を出て行って帰ってこない。

一人は隣町に住んでいるがめったに顔を見せない。

畑を耕すでもなくテレビを見るでもなく一日中やることも無く困っていた。

しかたなく腰の後ろに手を回し散歩する。

町の中を走る国道はカーブの連続だ。

建物があって見通しは悪い。

車は歩行者など予測せずスピードを落とさずに走ってくる。

かず子婆は道路を横断していたとき

はねられた。

軽い体は宙を飛び道路に叩きつけられた。

 

 

高齢で栄養状態も悪かったのだろう。

骨の付きは悪く退院できずに衰弱した。

昨日、亡くなったと地区内の放送があった。

一昨年の暮れから1年2ヶ月ほどの入院生活だった。

 

 

地区の班長が一升米を集めに来た。

昔から、亡くなった人の葬儀の為に

米を一升出し合った名残である。

今は米ではなく、500円だ。

 

 

今日は、かず子婆のほかに三件も葬式の看板が立っていた。

田舎はますます寂れていく。

 

(464)

有田屋は地元で採れる柿から羊羹を作りよく売れていた。

昭和のはじめ頃、有田屋で一銭五厘でアイスケーキを売り始めた。 アイスケーキとは言え、アイスキャンディーのことである。

この頃、高知県下の菓子店にいっせいにアイスキャンディー製造の機械が納品されたのだろう。

高知県では今でもまれにアイスキャンディーのことを「ケーキ」という。

五厘通貨の流通は無くなっていたので二銭でお釣りに券をくれた。 次回に一銭と券を持っていくとアイスケーキが買えるのだ。

有田屋の三代目は洋菓子の修行に出て 隣町に洋菓子店をだした。 そして今では本物のケーキを作っている。

 

(431)

ちゅーさんは70歳を超えた爺さんだ。 三人の子供と五人の孫を持つ良い爺さんだ。 ちゅーさんの後家殺しは、ちゅーさんが60歳頃から始まった。 亡くなった友人の線香をあげにいったことから始まった。

ちゅーさんは毎日食べているご飯とは違う味に興味を示し いつしか病み付きになってしまった。 ちゅーさんが実際のところ何をしているのか知らない。 しかし、ちゅーさんが後家さんのところに行くことはみんなが知っている。 今日もちゅーさんは後家さんのところに通う。

(879)

2010年上海万博あたりから中国大陸の購買力は急激に伸び

台湾特産の「竜宮の宝」と呼ばれる珊瑚が高騰し始めました。

この影響は日本にも。

魚価低迷で苦しかった漁師たちに幸運をもたらしました。

 

 

魚を獲っていた漁師の多くが珊瑚採りに転向しました。

なにしろ始めてすぐに1000万円稼いだ、3000万円稼いだ、

という話が飛び交ったのです。

北の漁場では大間のマグロ漁師が有名ですが

この町の漁師たちも稼いでいるようです。

(448)

宝石珊瑚を求める珊瑚漁は明治時代になると解禁になり大いににぎわった。

珊瑚漁は網を落とし海底に生えている珊瑚を絡め取る。

一攫千金を求めて多いときには700隻を超える船が月灘沖で操業していた。

しかし、宝石の種類多様化とともに宝石珊瑚は需要、価格ともに低迷

珊瑚漁は衰退していった。

 

(414)

新春といっても一月はまだまだ寒く草木に命を感じる気はしなかった。

幸一は高校二年の三学期が始まったが、昨秋に父を亡くしてから心の中は真冬の日々が続いていた。

その日、帰宅すると玄関で妹の上に乗り首を絞めている母と目が合った。

「何をしてるんだー!」

幸一は泣きじゃくる母を引き離し、ぐったりしている洋子を起こした。

「洋子!洋子!」

妹は答えなかった。

幸一は急いで救急車を呼んだ。

洋子は小児麻痺の障害があり、母は養護学校へ送り迎えしていた。

幸一は奥の部屋へ行った。

「ばあちゃん、大丈夫か?」

ぼけかかって寝たきりの祖母は幸一を黙ってみていた。

「かあちゃん、なんでこんなことしたんだ?」

母はただただ泣いているだけだった。

 

 

洋子は病院へ運ばれ息を吹き返した。

曇った空から薄い雪片が降ってきた。

新春とは言うものの幸一の春は、遥か遠くに感じられた。

(410)

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